日記

・本当のところ、ガソリン税を元に戻すことによって、経済の停滞に拍車がかかることになり税収全体でみると減収になるなんてことはないのだろうかと不安になるのだけど、特定財源的にはガソリン税を取れないと、即減収ということで大問題ということなのだろうか。そうすると、大事なことは一般財源を減らさないことではなくて、とりあえずの特定財源の減収を防ぐことということなのだろうか。
誰も二手先のことなど考えようもないといえばそれまでで、そういう話はオヤジの酒場でのぼやきぐらいにしかならないのかなと思いつつ、森本卓郎が同旨の発言をどこかでしていて、今は各国は減税策を打っているのに日本だけガソリン税を戻すのは馬鹿げているとのこと(web上で見かけたのだけど、当該HPがなくなってしまったのか、その後見つけることができない)この人の立ち位置というのは、80年代の英国の心情左翼のパンクロッカーみたいなところがあって、状況に応じた細々とした発言をみていると妙に説得力があったりもして、でもトータルでみるとなにかよくわからなかったりするのだけど、TVでは最近は顔を見かけることも多く、本屋でも著作を多く見かけるので、本人的には結構裕福なのではないと思われたりして、そのギャップが妙に面白かったりする。
そもそもが、昨今は、トータルを語るなんてこと自体が無茶なことのようにも思えるのだけど、果敢に語ろうとする人もいないわけでもなくて、しかしながら大概は政治家のようになってしまっている。では森本は優れた批評家であるかといえば、なんともいえないのだけど、世間ではそう目されているということではないだろうか。
ジジェクを面白がっておいてこんなことを書くのも矛盾しているとは思うのだけど。


・同時代の美術批評というもの、雑誌メディアであれ、web上のものであれ、それらについて思うことは、その歩みの遅さとともに、意図してか意図しなくてか分らないのだけど、つい2,30年以前の時代についての記憶の欠如ということであったりする。そのくせ現在の状況というものについては特別に語る価値があるかのように振舞い、結果として延々と現在が続く、まるで神経症のような状態に陥っているようのも思えてしまうのである。恐らくは、批評家なり研究者なりの書いた物が、誰もが読める状態なって集積されていないのが一番の問題なのであろうとは思う。そのなかで、制作者やらギャラリーなりの”売り手”の事情に応じた一面的には切実な文章ばかりが書かれているのではないかと思わざるを得ないのが寂しいといえば寂しいことなのだけど、こんなことは幾ら考えてしょうがないことなのである。