日記(68兆?)

”・・・しかし忘れてならないのは地方の所得補償の問題である。小泉首相や今の政府にはその視点が全く欠けている。都会に住む人々は、地方に好き好んで住んでいる人間など、のたれ死ねばいいと思っているかもしれないが、都市は地方が生み出す農作物や水や酸素で生きていることを認識すべきだ。
 ムダな道路が必要ないならば、それに代わる新たな所得補償の仕組みを考えるべきである。それが地方の生活だけでなく、自然を守ることにもつながる。”(//www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/08/index2.html)

二年前に森永卓郎の書いた文章の一部である、勿論此処だけを抜き出して、文章全体を批判しようというものではなくて、トータルとしての彼の主張、”小泉は、政党内での喧嘩にかまけていないで、国のグランドデザインをきちんとしろよ。”という主張は当時としては尤であったと思うのだけど、彼が状況批判のために、任意的にしめしたかのような空疎なビジョンは批判されて然るべきであろうと思う。

”もし政府がおカネを出して、山や水を守る仕事、安全な農作物を作る仕事などを作り出し、失業者に提供するようにしたら、そこに大きな雇用が生まれる。農業でちゃんと食べられるように環境を整備すれば、地方に行って住みたいという人たちは多い。緑もない都会での生活を捨て、地方で暮らしたいという人々は意外とたくさんいる。”

鎖国して皆で農業に取り組み自給自足するという話なのだろうか、それとも環境を整備することによって、人手を減らし、いくら生産性を上げてみたところでたかが知れている農業に国際競争力を与えようということだろうか、近代的な農耕を行いながら大労働人口が従事できるほどの耕地を確保できるのか、あるいはそれが本当に地球環境のためになるのか。言葉が足らなくてよくわからない。

”これが実現すれば、環境を守り、ムダな道路も作らなくなり、失業者も減り、何より国全体が幸せになる。どうして国家全体を見渡したビジョンが描けないのか不思議でならない。”

”国全体の幸せ”という言葉は、小泉時代に地方にお金が回らなくなったがために地方が不幸せになったという前提のもとに用いられているのだろうけれども、森永自身がビジョンを描いていないわけで、この文章だけを読んでいると森永卓郎ヤマギシズムの信奉者なのではないかと思えてこないこともない。単に道路は無用で農作物は有用という前提のように思えてしまうのだけど、政府が買い上げて捨てている農産物というものもあるわけで、二年前においても現状においても無駄な道路と共に無駄な農産物というのも存在してしまっているのであり一方で都市には飢え死にする人もいるのである。(そもそもが都市に暮らす人には、生活のために地方から出てきたという人も多く存在するのであって、法人税を下げる傾向にある現在の税制においては、更にそれらの人々から金を搾り取って、地方に補償するということにもなりかねないのである、勿論そういうところは戦後延々と日本政府が取ってきた政策には隠れていたし、その政策のために”ふるさと”は聖化される必要があったのである。しかし、今現在、都市に暮らす年収300万(森永の著作のタイトルから)の人から取った所得税にて、年収800万の農家への所得補償を行うということを想像したとき(マスコミや政治家の宣伝とは裏腹に現状でも都市労働者の平均年収よりも農家の平均年収のほうが遥かにたかいのである、親から支持者を引き継ぐ代議士と親から土地を引き継ぐ農家というのはもしかすると親和性があり、そのため連帯しているのではないだろうか?)感じる寒々しさは何処から来るのであろう。
やはり、食料は外国から買ったほうが安いし、酸素は別に国内の畑から農産物の副産物としてのみ作られるのでもないと当たり前のようにいえてしまうことから来ているのだろうか?地方は都市に一方的に依存しているように思えてしまうのである。)



ここで、二年まえの文章は置いておいて、今週の話として、
結局のところ、これから先10年で68兆を道路工事に注ぎ込むということになりそうであるとのこと、ついこの間、40兆の債務で大騒ぎして道路公団を民営化したばかりだったので面食らってしまった。


東九州道など 高速道10年で整備 総額68兆円計上 国交省が中計素案 特定財源使い切り
(2007年11月14日掲載)

 国土交通省は13日、2008年度から10年間の道路整備の姿を示す中期計画素案を発表した。年間5兆6000億円に上る道路特定財源を使い切ることを前提に、全国の高速道路の未整備区間2900キロすべてを建設するなど総額68兆円を計上した。九州では、東九州、西九州、九州横断延岡線、南九州西回りの各自動車道の整備方針が示された。冬柴鉄三国交相は「(国内の高速道は)この期間におおむね完成させる」と明言した。
http://www.nishinippon.co.jp/news/wordbox/display/5283/

西日本新聞というのは、新日本プロレスコミッショナー古賀誠の地元の九州の地方紙であるせいか批判的なことは何も書いていない。
中央紙の読売(この新聞には、元A級戦犯のCIAエージェントの正力松太郎が関わっていたという経緯があり、同様の構造で児玉誉士夫の関わっていた新聞である東京スポーツと同程度の信憑性しか与えてはいけないのではないかと思うようになった。)は多少批判的な書き方をしている。


国交省が、今後10年間を見通した道路整備計画の素案をまとめた。国民生活の改善に欠かせない道路の整備を進めるため、合計68兆円の財源が必要だ、と強調している。

 このうち、国が負担する分は、35・5兆円だ。残りは、地方自治体が24兆円程度、さらに民営化された高速道路会社などが負担する。”

”使い道を道路整備に限定する道路特定財源は年間、揮発油税などを中心とする国分が3・4兆円、地方分が2・2兆円ある。国交省の素案は何のことはない、それぞれの10年分の道路特定財源の税収に、ほぼ見合う金額だ。一般財源に回すお金はない、と宣言したに等しい。

 国交省は、住民から要望の強い高速道路建設や交通渋滞の解消、通学路の安全確保などの事業を積み上げた結果だ、と説明する。だが、最初から財源確保を狙い、数字を合わせたようにみえる。

 道路特定財源の改革では、昨年末、必要な道路を造ってなお余る分は、一般財源化することが閣議決定された。それを受け、国交省が「必要な道路」について整備計画の策定を進めてきた。

 政府は、この素案をたたき台に、年内に計画を最終決定するが、このままでは道路族や国交省の狙い通りになる。”


所得補償のために作られるトマソン的な道路(赤瀬川なら利用者のいない道路を”純粋道路”と呼ぶのかもしれないけど、)は本当に無駄であるのかということを考えることは、芸術の必要性を考えるのと近いものがあるのかもしれないと思うのだけど、その示すものは芸術作品とは少し違って政治家の権力の象徴、国民の平等の象徴、国民間の博愛の象徴といったところで、本来抽象的な概念を視覚化、物体化、空間化しているというところに収まるのではないかと思いつつ、地方と中央の間に溝を作っているのもまたこの道路なのだという気がしないでもないのである。