日記

ときどき使っていた東京郊外の繁華街のインターネットカフェがなくなっていた。
とはいっても、この繁華街のインターネットカフェはこの一軒というわけではなくて、私の知っているだけでもあと三軒くらいあるので、とりたててコメントするようなことでもないのかもしれないのだけど。
何故、そんなところを使っていたのかといえば、インターネットへの接続が自宅よりもサクサクとできたからと、比較的遅い時刻、本屋は既に閉まってしまっているような時間にマンガや週刊誌を読めたからである。
飲み屋とサラ金屋ばかりが入りながらも空き室が目立つ駅前にビルの七階にあり、もともと他の業種が入っていたであろう部屋の内装を殆ど改装せずに、机一つが入るくらいのスリガラスのパーティションが幾つものこったままにになっていたりもして、元は金融業だろうなと思わせるものもあったりもしたのだけど、開けたスペースにはソファーやら机やらリクライニングチェアーやらを並べ、壁沿いに本棚を置いた如何にも仮凌ぎといった雰囲気であり、何処から持ってきたのかミロや中林の版画が所々にポイントのように掛けてあったりして、その荒み具合がタルコフスキーソラリスステーションのようでいい雰囲気を醸し出してた。
料金的には、大体二時間で六百円くらいの料金をとられたかのように記憶している。
ジュースやパンが無料で自由に注いだり摂ったり(?)できるようになっていて、一時期はカレーライスも無料とのことで、電器釜と鍋と皿がおいてあったりした。
当然、”難民”と呼ばれるような人達も利用していて、PCの使い方が判らないという人にインターネットで日払いの仕事を捜す方法を教えて欲しいと頼まれ一緒に探した事もある。
マスコミでこういう人達の存在が話題になりだしたときに、利口そうな顔つきをした評論家がインターネットカフェは料金が高いからありえないと尤もらしく笑い飛ばしていたのを見かけたのだけど、飯代込みで四時間いて千二百円くらいで、深夜は更に割安料金が設定されていたことを考えれば、カプセルホテルよりも安く宿泊できる施設であったわけで、難民の避難場所としては最安価の場所であったのだろうとは思う。
もちろん、難民救済の慈善事業として営業されていたという訳でもなかったのだけど、何時の間にか時代を象徴するような場所になってそして廃れたのである、多分ビルの賃料が上がり経営がむずかしくなったのではないかなと、その後にそのスペースに入った飲み屋をみて、また埋まり始めた空き室の看板をみて思った。