学生の頃は、よその国の雑誌を確認するために多くの時間を学校の図書館で過ごした、わからない言葉を辞書をひきながら読むので、兎に角、時間がかかったのを覚えている。
しかしながら、いくら時間をかけて読み込んでも、わからないものはわからないし、失望することも多かったのだけど、もっとも時差の少ない情報だと思っていたし、あるいは、少しだけ載っている東京の展覧会についての記事を、他の記事と比較出来たりするのが、ありがたかった。
いつの間にか仕事帰りネットカフェで、遥かに多くの情報を、確認できるようになり、
更に時間がたち、公園のベンチに座って、スマートフォンで同じくらいの情報が確認出来るようになった。
ある程度情報量が増えてみると、学生のころのような失望はなくなったのだけど、これは自分の年齢が上がり、人生の残時間が目減りして、世界への期待が薄れたせいであるのかもしれない。