混合ワクチンを接種するために犬を起こしたら妙に元気がよくて、此方の手を追いかけている。噛みたいのだなということはわかるのだけど、甘噛みかそうでないのかはわからない。しかしながら、取り敢えず噛ませてみる。こいつはもともと甘噛みがうまくできなくて、多分は母犬から離されたのが早くて教育を十分に受けることが出来なかったのだろうと不憫がって堪えてきたのだけど、やはり痛くて、それでも本気ではないことは判るのでよしとしてきたのだけど、今日もその程度の痛みを感じつつ、それもあとどのくらい続くのだろうと一抹の寂しさがあったりする。

津田沼のスーパーの片隅にCDを詰め込んだワゴン(?)が並べられて、CD市との書かれた厚紙が貼られていた。

CDを手にとってみているのは、中高年の男性ばかりで時の流れを感じた。

音楽が好きな今時の若者はネット配信で聴いているのだろうなと当たり前のように思ったのだけど、本当にそうなのかはわからない。

 

 

 

ポール・モチアンとビル・フリーゼル、ジョー・ロヴァーノ、

或いはそれに、リー・コニッツが加わった録音は、90年代の中頃によく聴いていた。

しかしながら、これは初めて聴いた。

https://open.spotify.com/track/5rVHdSOQ9J6YAThJYLUoma?si=7uK0z6vkSc2Pb4zm_2pgIg

個人的内面生活に関する記憶が濃厚に残っているのは90年代までで、それ以降が希薄なのは、没頭できる仕事に恵まれて、尚且つ、結婚していたからか。

 

 

犬をトリミングサロンに預けて出来た空き時間に市立美術館に行った。

びっくりしたのは、若い頃、銀座4丁目の画廊に観に行って、軽く失望を覚えた絵が並んでいたことで、年をとって思わず再会することになって、あの時は自分が分かっていなかったなんてことになればよかったのだけど、やはり感想はかわらなくて、自分があの時のまま青二才のままなのだなと、再確認することになったことだった。

 

 

 

 

自分の個展で人を殴ったという噂のある画家を2人しっている、といっても、いずれも面識があるわけではない。作品は注目していて、展覧会も観に行っていた。

1人はその後何処か大学の教授にもなって大成(?)した。問題はもう1人のほうで、それ以降作品を観る機会がなくなってしまった。

ネットで検索しても活動が一切掴めない。

殴った相手が余程不味かったの、あるいは彼の属している社会が厳しい社会なのか、或いは本人がまいってしまったのか、恐らくは本人がまいってしまったのだろうと思っている。

学生時代に描いた抑えた色調で描いた家族の絵が忘れられなくて、その展開を心待ちにしているのだけど、もう観ることもないのかと思うと残念でならない。