日記

 一昨年、花の終わったチューリップの鉢から掘り出して、玄関の脇に網袋にいれてぶら下げたまま昨年は植えるのを忘れてしまっていた球根を、ベランダのプランターに植えてみたのだけれども、一向に芽が出る様子がない。その様をひとに”いい夢をみているのか、なかなか目を覚まさないみたいね。”と言われて、植物にその表現は不適切だろうと思いながらも比喩としてはいいと思った。

因みに、大概の動物は寝言をいうので夢をみるものだろうと確信をしている。
では植物人間と呼ばれるような状態の人は夢を観ることがあるのだろうか、脳梗塞で眠り続ける人間も夢を観たりするのだろうか。そういう設定の小説というものは以前に読んだこともあり、小説としては感銘を受けたのだけど、そのシチュエーション自体をリアルにありえることとして考えたことはなかった。

 でもって、実際のところどうかと、webで検索をしていたら、ドラエモンの複数種類ある最終回のうちの一つに、「全て植物人間になったのびたの夢」と言うものがあるらしい。気になる点はのびたが目を覚ますのか覚まさないのかという点で、覚まさなければディックの小説みたいになってしまいかねないのだけれども、それはそれで面白いとも思う。ディックの小説では、主人公は自分は夢のなかの存在なのかもしれないと半ば知りつつ、だけれども最善を尽くさなければいけないとか、そうしないと実体としての自分も死んでしまうとか、かなりややっこしい状態に陥っていたりしたのではなかっただろうか。
 例えば、夢のなかで起こった火で現実世界に火事がおこり焼け死ぬということは、現実にはありえないことであるのだけれど、ある種の精神状態の人はリアルなこととして体験するようで、度々小説には書かれるようだ。