電池切れをどうしたものか。鬱ほど哀しくも滑稽な病気はない。本人は死の間際で頑張ってるつもりでも周囲からみればただの居眠り野郎で、それがところかまわずということで、19世紀の小説に出てくる滑稽な人物像の定形というのは実は鬱だったのではないかと、そして20世紀には統失にその座を譲ることになったのではないだろうか。では病気そのものは根治可能になったのかと言えばそんなこともなく、21世紀になっても19世紀的感情に幽閉されたまま、ますますおかしみを帯びた存在として醜態をさらしている。
灯りも点けず寝てるとも覚めているとも分からない状態で聴いていたCDをプログレかと思いつつ夜が明けてみたらリストだった。