随分と昔のことになるが、学校に入学した際に、将来の志望と懸念事項のようなことを書かされた覚えがあり、懸念事項として、糧を得る方法について作文した。四年生の頃取り残していた語学の講義で同様のことを異国の言葉で作文した覚えがある。指導教官は親からの投資と異性からの援助(結婚)を真顔で語る人であり、自分のバイト先で正社員の女性に確認する限りにおいて、当時の女性の給料は、バイトの自分よりほんの少し、多い程度にすぎなかったからである。たまたま、最近、年齢は自分よりほんの少し上だけど、同時代で一番成功している画家、まあ、僕は既に画家と名乗ることも出来ないのだけどそれはおいておいて、二十代の頃は僕の道標であり、しっかりと功績も残している小林良一さんとお酒をのむ機会があり、時給900円のバイトをすることがあると現在進行形で当たり前のように、お話されていて、時間が止まっているのか、悪化したのか、いぶかしく思った。
これは、小林良一さんのことでなく、世の中には多用な職業があるのだけど、飯がくえる職業は、わずかしかないし、空きは少ない。飯が食えている人に限って、金のためにやりたくないことをしていかのような退廃的且つ二ヒリスティックな発言をする傾向があるのだけど、自分にはそのように見えることはなかったりする。