バルチェスという人は、11歳の頃描いた挿し絵で素描ができ上がってしまっていて、その後、ピエロ・デッラ・フランチェスカの模写を繰り返すなかで、20歳で色彩画が出来上がってしまった人のように見えた。
後は、主に、室内に籠って、文学趣味に浸って、怪しげな絵を描きつつ、余生をすごしたのかと思ってしまった、とは言え、トーンを高めにした絵には、惹かれるものがあるのだけど。
11歳の彼の素描を見いだしたのは、母親の交際相手であったリルケである。リルケはたしか、ロダンの秘書をしていた人で、ロダンの彫刻の部分を使い回す作りや、造形的な古さを考えると、なにやら解ったような気分になれたりするのだけど、ここらはつめてみないといけないような気もする。
この時点で、無数にあり得たスタイルの中ので、ボナールからフランチェスカを展望するかのようなあのスタイルが選択される。
しかしながら、色彩に関しては、ボナールのような近代的な顔料の沼にはまりこむこともなく禁欲的に限られた古い顔料を主に使用する。ここら辺りは、モランディに近い近いものを感じる。
幼年期がベルエポックに重なっているということを考えれば、その後の時代的な失望感やら倦怠感からくる反動やら抑圧やら逸脱のようなものは、割合と身に覚えもあり、理解しやすいように思う。
環境の良さと直感のようなもの、あとは、数百年前のイタリアの巨匠であるフランチェスカへのストーキングのような師事 。これが強い抑圧に結び付き、逸脱を引き起こし、結果として、怪しげな図に結実してあるのではないかとの疑いもある。
そういえば、東京都立美術展は政治的な表現に関しては、厳しい検閲を行ったばかりなのに、バルチェスの際どい趣味に関しては、随分と寛容なのだなと、改めて思った。
劇場のような深い空間に一定の量感をもった物体の配置、人体すらも量感として把握されるのみであり、それを越えた表現をしようと試みるとき、独学者に有りがちな不器用さが露呈する。
主題が観る者を導く深みが混濁でしかないように見えるのはルオーと同様であるし、その後も欧州の絵に繰り返される症例のように思われるのだけと、彼らはあれでいいと思っているのだろうか。
エスキスにおいては、短めの多数の線によって定められた輪郭が、色彩画において面の仕切りとして曖昧さを残すことなく顕現するとき、三次元を二次元に縮減する仕掛けなり矛盾なりが見える、そこまでで、自分には充分なように思った。
短かめの多数の線による探り書きは、日本では、下手くそ呼ばわりされる類いのものであるのだけど、自然には輪郭線はないとするあちらでは事情が少し異なる、主題やら奥行きやらこそが一義で、アラベスクには方便程度の重きしか置いていないし、画家の身体はカメラにも、工場の機械にも置き換え可能とするのが、狭義の視覚芸術であったりする。
そういえば、フォートリエも近いうちにに見れる機会がありそうで、そちらの方も期待していたりする。