「幼年時代」室生犀星

 犀星の「幼年時代」という小説は不快な小説である、その理由はよくわからないのだけど、わからないなりに気がついたことを纏める。


 ”私”は養子に行っているにもかかわらず実母のもとに通っている。そして実母に問う。

”「おっかさんはなぜ僕を今のおうちに養子にやったの。」
「お約束したからさ。まだそんなことをわからなくてもいいの。」
母はいつもこう答えていたが、・・・”

結局、”私”は、母から”そんなこと”を教えられることはない、しかしながらこの小説が発表された時分の読者には、”そんなこと”については、おぼろげには理解できていたはずである。
いわば読者は”私”の視点を借りることにより、日常世界の関係性が希薄にされた世界を眺めることになったのではないだろうか。
その世界では、畑の果物が熟れすぎたり、自然に落ちたりして、その存在の無意味さを謳歌することができたりするのである。

”畑は広かったが、りんご、柿、すもも等が、あちこちに作ってあった。ことに、あんずの若木が多かった。若葉のかげによく熟れた美しい茜と紅とをまぜたこの果実が、葉漏れの日光に柔らかくおいしそうに輝いていた。あまりに熟れすぎたのは、ひとりでに暖かい音を立てて地上におちるのであった。”

勿論、こういう抑圧感のない子どもは、抑圧されている子どもたちからみれば、いらだたしい存在であるのでよく喧嘩をすることになる。そして、教師にも気絶するほど殴られたりするのである。

しかし、”私”を関係性に組み込むことになるのは、教師の拳固ではなくて、実父の死とそれに伴う実母の喪失とその後の出来事である。
奇妙なことに、精神分析の語るプロセスとは異なるプロセスが展開されることになるのだけど結果は、同じことになるのである。
ママとボクの「連続性」をパパが「切断」するというのが精神分析の語るところ去勢であるとして、ここでは実父の死によって、正妻でもなんでもなくて小間使いでしかない実母が家から追われるという形で逆説的に成立してしまうのである。
そして去勢する主体が、隠喩としてではあるが、より明確に表現されているようにも思えるのである。

”ある日、私は実家へゆくとゴタゴタしていて、大勢の人が出たりはいったりしていた。母は私にお父さんの弟が越中から来たのだと言っていた。四五日すると母がいなくなって、見知らない人ばかりいた。母は追い出されたのであった。
 母は私には別れの言葉もいうひまもなかったのか、それきり私には会えなかった。母は父の小間使いだったので、父の弟が追い出したことがわかった。私はあの広い庭や畑を二度とみることができなかった。”

こうしてみると、この小説は、幼年期の終わりと楽園の喪失を書く物語の一変奏であるようにも思えるのだけど、小説はここでは終わらないのである。

 この後も荒んだ生活をしていた”私”は、増水した犀川で地蔵を拾う。

”あの増水の時によくあるように、上流からながされた汚物が一杯蛇籠にかかっていた。私はそこで一体の地蔵を見つけた。それは一尺ほどもある、かなり重い石の蒼く水苔はえ地蔵尊であった。私はそれを庭に運んだ。そしてあんずの木の陰に、よく町はずれの路傍でみるような小石の台座をこしらえてその上に鎮座させた。
 私はその台座のわまりにいろいろな草花をうえたり、花筒を作ったり、庭の果実を供えたりした。”

この地蔵を支点にして、”私”の人生は明らかに別の段階に移行していくことになるのだけど、これは、地蔵が”私”にとって「移行対象」になったということの結果のように思われる。
移行対象というのは、ウイニコットという小児精神科医が言い出した概念ということで、斉藤環によると、
”子どもが成長する過程で、なぜか手放そうしない人形やタオルなんかをこう呼ぶ、
ライナスの「安心タオル」みたいなものだ、大人と違って、子どもにとって「対象」というものは、すごく特別な存在のことを指している。精神分析では、子どもははじめ幻想の世界の住人で、いろいろと学習を重ねながら幻想と現実を区別できるようになっていく、ととらえることが多い。移行対象っていうのは、ちょうど幻想と現実を橋渡しするような存在、子どもにとっては自分の内側にあるとも外側にあるともいいにくい存在ということになる。”

”だから大人からみれば、ただのボロ切れのような汚いタオルでも、子どもにとっては友達のような、すごく特別なな宝物なんだ、それを捨てることが出来て初めて、子どもは本当の意味で現実を生きるようになる。”

そうすると、のびたにとってのドラエモンは移行対象ということになるのだろうかと一寸気になるのだけど、此処では置いておいて、小説上でも、”私”はとても大事にしていた地蔵を和尚に差し出すことによって、和尚のもとに養子に行くことになる。
そして、それにともない”私”のやんちゃさは陰を潜め、”私”は大人しい性格になるのである。




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