おうちで過ごす時間が長くなった。
手足を伸ばすために、夕方に散歩をすることが日課となった。人の居そうな場所をさけて、駅やスーパーのない方向へ向かって、とぼとぼと歩くことで、気が晴れるかといえば、そんなこともなく、しかしながら身体のために運動は必要であろうと夕暮れの中を歩いている。

歩くことのほかに気晴らしになりそうなことを探して、
名前のわからない草葉をむしり、コンビニ袋につめこんで持ちかえった。

さて、かつての語学教師が今年の2月に京橋の画廊で個展を開いていたことを遅れて知った。
この人が絵を描いていることをぼくは知っていたし、観たいと思ってたので残念だった。

この人は、英語のニュースを、どうしても聞き取ることのできないぼくを救済するたに、英語にて卒業後の自分がやりたいことと、そのための障害についての作文を申しつけた。

最後に講義にて、ぼくの作文に応えるかのように、
ご自分のことを、言語学者としての自分を悲観してること、言語学者に必要なのは理数系の脳であり、それを持ち合わせていないのだとのことを語った。

その話のなかで、実は絵を描いているのだと教えてくださったのだと思う。

画廊のHPからわかる範囲にて、この人の絵は植物を描いた奥ゆかしい水彩画のように見える。