日記

★F3の木製パネルに帆布を張って地塗りをしたところ、翌日モグラのトンネル状に凸が出来ていてビックリした。布とパネルの間に何か紐のような物を挟んでしまったのだろうかとタッカーの針を抜いて、アクリル性の地塗り材のために半ばパネルに張り付いている布をはがしたところ、薄い板を張り重ねて作られているベニヤ材の表面に近い層に皺がよっていた。
もともと、ベニヤ材の耐用年数というのは短いもので、使われる接着材の問題で張り合わせた板が10年もすれば剥がれてくるものだとは聞いていたのだけど(因みに、私にそれを教えてくれたのは李禹煥だ、彼は山口長男だったかがパネルの裏から合成樹脂を塗ってパネルの劣化に抗したと言っていたのだけど、それが本当に有効な手立てであるのか私にはわからない、下手をすると湿気を溜めることにもなりかねないのではないかとも思う。)自分はあまり使用してこなかったので実感がなかったし、そもそも古典技法がどうのと大学で画材の研究をしている奴らだって、自作についてはベニヤのパネルに膠で綿布を貼り付けていたりしたではないかと油断していたのだ。
それに、そもそもが、今回のパネルは御徒町の画材屋で購入したばかりのもののはずなのだけど、お店の棚に並ぶまでの間に随分と長い時間が経ったものであったということなのだろうか?そういえば、上に張った布に地塗りを施した際、黄色い色が全面に滲んできたりして怪しげではあったのだ。

気を取り直して、他のパネルの表面にワックスを塗ってから布を張って地塗りを試みる。ワックスを塗った理由としては、そのような脆い板に布を合成樹脂の地塗り材で接着させてしまうのを防ぐつもりでのことで、一回でも絵の具にワックスを混ぜたことのある人であれば、その脆さは判ると思うのだけど、その脆さを創造的(大げさな表現だ)に利用できないものかと思ったのである。


絵のサイズが小さくなっているのは、身の回りの事情でなかなか発表の予定を建てられないためであって、そういう半ば自分に閉じ込められているような状況で、ウダウダを絵を描いたりしていると自ずと絵のサイズは小さくなるものなのである。



★”口のまわりに不機嫌な皺の出来たとき、こころのうちに十一月の湿っぽい糠雨の降りつづくとき、われにもなく棺置場の前で足を止めたり、途で出会った葬列のあとからついて行ったりする自分に気がつくとき、別して、気鬱症がすっかり手におえなくなり、よほど強固な道徳律ででもわが身を縛らぬ限り、わざと往来へ出て行って、通行人の頭から上手に帽子を叩き落してやりたくなるのを抑えきれないとき−まあこういうとき、わたしは、いまこそ一刻も早く海にでなければならぬと決心する。”
白鯨を中学生の頃読んだ時は、とてつもなく読みにくいと思ったのだけど、今あらためて頁をひらいてみると陰鬱な仰々しさは寧ろユーモラスに思えて楽しく(?)読めるのである。
因みに、新しい訳が岩波からでているのだけど、改めて買いなおすとまた金がかかるのでボロボロの新潮文庫で読んでいるのだけど、余りに記憶が残っていすぎて読み流れてしまうので逆に読みにくかったりもする。しかし、そうすることで、新しい本に費やすお金と、その時間本を読んでいなかったら他の事に費やしてしまうお金を倹約しているのである。
そう、そのくらい私は貧しい、この5年のうちに収入は減って、しかも支出は増えている。正確には給料は上がっているのだけど、それが増税に追いつかないのである。尚且つ、年をとった親に仕送りをしたりもして、育ててくれた恩、存在させてくれた恩に報いているというと馬鹿馬鹿しいが、子供を育てるのは無償の贈与などではなくて、子供だって、自分がどの程度もらえるかもわからない高い年金を払って自分の親を含むところの現在の高齢者を養い、尚且つ仕送りをして頑張っているつもりなのである、そういう意味では、柄谷行人は子育てに失敗をしたか、或いは、いろいろしてもらってもそのことを自覚しないよほど欲深な老人なのであろうと思う。