ターナーの荒んだような黄色はクロームだったのかと今にして知った。盲点だったのは変色をする危険な顔料として早くにおそわっていたため、自分では使ったことがなかった故のことだ。しかし19世紀の時点であれだけ奔放に使った絵がいまだにみるに耐えるのはどうしてだろう。油分が多く混色しないという使用方が有効ということなのか、それとも変色して今の状態なのか、気にならないでもない。

水彩による小さなスケッチやら挿し絵、ベネチア派のような有色地塗りから制作された大作、片方には個別性があり、他方においてはそれが失われている。西洋では前者を装飾とよび、後者を芸術とよんでいた。ここら辺り現在ではどうなっているのだろう。 いや、そんなもの抜きでみるべきなのかもしれない。