日記

学生時代、初めてグリーンバーグの文章を読んだとき驚いたのは、絵画を”イズム”のみに基づいて整理せずに空間表象の様式による分類をしていることで、結果として抽象表現主義の作品が後期キュビスムという様式に分類されたりしてしまっているのだけど、ここで実在を扱ったキュービズムと心の中をモヤモヤを描いたようなシュールレアリズムの絵の一部が同一のカテゴリに分類されたり比べられたりすることが可能になってしまうことであった。今となっては至極当然のことのように思えるのだけど、自分が制作を行ってきた経験のなかでは、そこに飛躍を感じたのである。

勿論、この後には、更にこの当該様式の超克というストーリーが語られることになるのだけど、そのことの良し悪しは置いておいて、グリーンバーグと同時代の批評家であるローゼンバーグの書いたものを読んでいると、その時代にいかにポストペインタリーアブストラクションの範疇に収まるような作品が沢山描かれていたのかということが分かって面白い。そして、彼はそれらを美術史の授業から発生したものとして半ばウンザリ気味の様子で書いて、勿論評価もしていない。

ポロックのような画家においては、イメージの交換を保証する実在というものは既に存在していないし(デクーニングは実在に舞い戻ってしまう)、尚且つ前もって用意された様式というものも存在していなかったわけで、様式はそれこそ受容者であるところのグリーンバーグによって事後的に見出されることになったのである。
ポロックの制作に拠るべきもののなさということは、ホフマンにポロックへ助言を与えさせることにもなる訳で、曰く「君は自然に基づいて制作すべきだ」、必ずしも私だけが感じていることでない様に思う。勿論、それは批判されるべきことでもないし弱点でもないのである。