日記

折口雅博経団連の理事をしていたということを知って驚いた。
因みに世に疎い私のこの人についてのイメージは、以下二点によって出来上がっていて、とんでもない悪党であったのだけど、(勿論、1はマスコミの報道による刷り込みによって形成されたもので、2はインターネットの書き込みの閲覧によって形成されたもの。)
1、介護ビジネスで役所を騙して介護報酬を不正に取得。
2、日雇い派遣で高率のピンはねにより高利益をあげる。

介護ビジネスについては、介護保険以前の高齢者福祉は行政による措置であり、行政サービスか、委託を受けた少数の民間企業によって担われていたわけで、規制緩和(?)に勝機を見出して参入し世の関心を集めていたのだったかなと、
派遣業についても、確かつい少し前までは、専門職に限って許可されてた業種で、尚且つピンハネ率にも制限があったのではないかと私は思っていたので、というかR&Bのシンガーをしながら派遣会社で営業をしてた知人に10年以上前にそのように聞いたことがあったので、規制がないと知って驚いた。
あるいは、この数年の間に規制緩和されたということなのだろうか?

しかしながら、経団連は会長も御手洗とかいう人で、この人の会社にもとんでもない低賃金労働者がいることが話題になったのも最近のこと。勿論、安かろうが労働の機会を与えて、賃金を払ってやってるのだから、むしろ感謝されるべきだという意見もありうるのかもしれない。

スタイル・カウンシルのWall Come Tumbling Down の詩をみたら、労働組合の団結歌みたいな内容でビックリした。しかし時代を考えれば80年代の中頃だったわけで、サッチャー時代のイギリスというのは、従来の福祉国家の路線から新保守主義というか新自由主義的経済政策へ切り替えの真最中だったわけで、そういう時勢に対する反発の反映としては当然なのである。Internationalistsの歌詞もその経済政策のなかで増大した民族主義者に対するアンチとしてうたわれたものとしての当たり前のように理解できるように思えるのは、昨今の日本の状況が20年前のイギリスに似ているからであろうと思う。
でもって美術で、当時話題になったものとしては、新表現主義とかネオポップであるわけで、新富裕層があれらの如何にも”古風で贅沢”な作品を買い求めていたということなのかなと思うと美術というのはツマラナイものなのだなと思えてきたりしないこともない。そして、私は如何にも薄っぺらで単純な人間なのだとも思う。