もう、十年近く以前の話、自分も引っ越しをしたので、書いても問題ないかと思う。
夕刻、叫びが聞こえたので驚いて、マンションの部屋から飛び出したところ、同じ階の小学校前に入るか入らないかくらいの女児から、“おとうさんがおかあさんに、かていないぼうりょくをするの、、”と言われて、咄嗟に返事を返せなかった。その子の、おとうさんもおかあさんも挨拶をする程度の近所付き合いはあったのだけど、正確には、おとうさんは生物学的にも法律上も、その子のおとうさんとよぶのに相応しい存在ではなかったからだ。
おとうさんも、おかあさんも夜明けから働いて、昼頃部屋に帰る。休みの日も変わらずはたらいている。そして、何故か、休みの日は、この女児と、小学校上学年の姉は、夏の暑いひなか、マンションのすぐ脇のクリーニング屋の前の自動販売機で、一缶のジュースを買って道端に座り、何時間もかけて飲んでいた。
かていないぼうりょくという難しいことばに、あの男は、おとうさんではないのだよと説明しようかと思案するぼくに、妻が割り込んで、大人の話に口をだすなと、その場をうけながしてしまったのだけと、それでよかったのか分からない。
しかし、親だろうがなんだろうが、自分を庇護している人間の争いは不安であろうし、もし其が他人であるとも、慰めにはならないということは確か。