テレビを観ていたら、シニャックが熱した蜜蝋に顔料を混ぜ混んで描いた絵が1枚だけあると、怪しげなことを言っていた。
展色材として油の絵の具は、透明度が高いのと、脂色に染まることで退色するのは事実としても、油に蜜蝋をとか仕込むとか、アルカリで蜜蝋を溶かすということは、近世には普通に行われていたことであって、シニャックも熱によって蜂蝋を溶解したのではなく、そちらの技法を転用したのではないかと、自然に思った。
また、彼のキャリアのうち1枚だけが、その技法で描かれていたとするのもあやしい。未知のメディウムをこなせるようになるには、それなりの習熟期間が必要だ。
何故か解らないながら、明度、彩度を共に上げたいという気持ちは、とてもよくわかるような気がするのだけど、結果として奥行きを失うと、雅な、装飾品のようになってしまうような、しかし、改めて、シニャックの水彩画を観てみると、惹かれるものがある。水彩で何枚も宗作を重ねて、破綻の可能性を潰して、機械的にタブローを制作したのかと思った。