Richard Galliano(リチャード・ガリアーノと音を当てていいのだろうかという理由で、カナ表記と洋字が入り乱れている)とRon carter(勿論、ロン・カーター)のデュエットを発見。勿論屑扱いされていた。ボタンアコーディオンという楽器には憧れた事があるのだけと、印象とは裏腹に高価で諦めた経緯がある、あと練習場所、基本地音の大きい楽器は集合住宅では練習は不可能との理由もある。ジャズではウッドベースの音程(ピッチというらしい)は厳密に演奏する習慣はなくて、というかフレットがない楽器をアカデミックな訓練を踏まえずに演奏した先人達の残した習慣なのか、これがヨーロッパの音楽家と一緒に演奏すると、顕著に耳につくようになる。持ち味の範疇とも思っているのだけど、たまに、グチャグチャではないかとか思ってしまうこともあり、特に鬱が酷い時は煩く聞こえる。

選挙時に各政党が掲げていた公約を読み直すと、挽き肉機か挽き臼かどちらかを選べというぐらいの選択肢しか用意されていなくて、それでも選択肢があるのだからまだましなのだと納得させられているのだけど、次の選挙まで時間的余裕がないという理由で、破産覚悟の政策が行われる危険があるということであれば、一党独裁でもよかったのではないかと思わないこともない。若い人気代議士が応援遊説において、遊説先の方言を前もって勉強していて指摘したキャスターに、“十秒で聴衆の気を惹かなければならないからだ”と切り返したという、コンペイ師匠が何十年も前から行っていた手法を、政治に転用した代議士は誉められるべきか、それとも聴衆を愚弄するものと批判されるべきか?オヤジ臭い?、否、自分が小さなものでもいいから絵を描きたいがため、社会をそれに合わせたいと、我が儘からの苛立ちを書き付けている過ぎない。