ジャズのフリーフォームの演奏をきいていて、結局ブルーコードを現代音楽風に演奏しているだけではないか、とか、なんだかよくわからない打楽器による集団即興から始まりつつ、オチはブルースではないかと、思うことがあって、勿論、それがいけないというわけでもなくて、宙ぶらりんな気持ちが、最後にはおとしどころを得て安心する、謂わば放蕩息子的展開と思っている。
自分は逃避的に音楽をきいているせいか、この展開にはまると、ものたらなさを感じてしまうこともなきにしもあらずであって、逃避というのは、脳味噌を出切るだけ遠くに、ぶっ飛ばしてくれることで、帰り道はなくてもいいのであって、芥川のトロッコの重たい帰り道はいらないのではないかと考えている。マネリ親子の演奏は比較的落としてところが不明でいいなと、最近のよく聴いていたりする