近所を歩いていたら、ラーメン屋の前に花輪が並んでいて、新しく開店した店だと気が付いた(本当のところ、気が付く順番としては”花輪”と”ラーメン屋”とどっちが先なんだろう、言葉に直そうとすると気になってくるのだけど、やはり同時に瞬時に意識化されるということなのか)。
しかし、建物自体は新しいということではなくて、表だけは綺麗にしているのだけれども、側面をみるかぎり年季が入っているようで、はてと考えると、以前は、”くわがたむし”を売っている店があった場所であって、”くわがたむし”を何処から仕入れて誰に売っていたのか不思議なのだけど、そのような店が何年も営業していたというのも事実であって、一瞬でも商売になり得ることがあり、そのタイミングに開店した店が、収益が上がらなくなった後も、潰すタイミングを逸してほそぼそと営業してたということかと納得したような気分になってしまった。
わりと、このような光景には見覚えがあるのであって、鈍感になっていたりするのだけど、埋まってしまった”隙間”(適切な表現ではないかもしれない)が、またいつか復活すると当事者が期待していたということなのだろうかと思うと、そうも考え難いのであって、不始末を自分の拠り所にしてしまって、どろどろと続けていたということかと思うと、他人事でもないようにも思えてくる。
 なくなってみて初めて、その店のことを考えるというのも変なことなのだけど、二つの店のイメージが混ざり合わさってしまって、ラーメンを食そうという気持ちになれなかった。