・とりあえず自分は有限な存在であることは確か、では、対象もまた有限な存在なのかというのが問題。その果てがないかもしれない総体をどうやって把握するかとしたときにツールが必要とされ、それこそ歴史とか弁証法とかもそんなツールの一つとしてあり、比較的有効なツールだったので、皆に使われてきていたということは確かなことなのだけど未だに有効なのか、あるいは、ツールを通じて仮に把握されたビジョンを自明なものとしてしまっていいのかという問題もあるのではないかと、主に自分の思い込みに対する反省。今更ながらこんなことを書いているのは、近過去の美術批評を読むと、本当にこういう言い回しが多くて、考えさせられてしまったからなのだけど、今はどんな考え方がなされているのかとすると、そもそもが美術批評そのものがあまり表に出てこなくて、代わるものがないという状況なのかもしれない。