前に他のブログにて書きとめた中村雄二郎の本を読んでのメモなのだけど、出所の本をなくしてしまったことに気が付いた。

ソシュールによれば、言語体系のなかにある一つの語を実際の言語活動のなか結びつける仕方には二種類のものがあり、この二つにはそれぞれ独自の価値を生み出す働きをもっている。
・統合関係(主語+述語といった結合軸に沿っての関係)。
・連合関係、言語活動において語を選択するときそこに働いているのが、形や意味の類似などによってさまざまな語を相互に連想させる関係。

これら二つの対応する精神活動の形態として、ヤコブソンは換喩的形態と隠喩的形態を立ち入ってとらえた。
ソシュールの統合関係と連合関係は隣接関係と類似関係としてとらえなおされた上、比喩の次元に移され換喩と隠喩によってモデル化された適用範囲の広い豊かな一対の概念を生んだのである。
もともと隠喩とは、修辞学上で類似関係のうちに語を置き換える比喩の形式であり、これに対して換喩とは、隣接関係のうちに語を代用する比喩の形式である。
そして、この二つの形式の適用範囲が拡大され、言語活動を中心に人間の全ての精神活動が、類似関係による置き換えが強く働くものと、隣接関係による代用が強く働くものとに応じて、それぞれ隠喩的なものと換喩的なものとしてとらえられるようになった。

たとえば、抒情詩、ロマン主義象徴主義の文学、シュールレアリズムの絵画、フロイトの夢の象徴などは隠喩的なものであり、
これに対して叙事詩写実主義のストーリー、キュービズムの絵、欲望の転移(移動)などは換喩的なものだということになるわけである。

付け加えるとすれば、クールベのようなリアリズムの絵画にけるナイフ、抽象表現主義における多用な筆具(ここら辺りに至っては、絵筆だけで描かれた作品を探す方が難しい、)や彩色方法も換喩的といえるのだと、自分は理解しているつもりだったりする。