日記

■新聞社のニュースサイトに上がっている記事にリンクを張っておくて暫くすると、リンク先がなくなっていることがある。これはどういうことなのかと考えると、なにか訳があって、掲載を取りやめたか、あるいは、そもそも全ての記事が一定期間たつと読めなくなるようになっているのかいずれかであって、おそらくは後者なのだろうとは思うのだけれども、不便といえば不便であるし、また、無責任といえば無責任とも思えたりしないこともない。
要は”書き逃げ””いい逃げ”になりかねないのではないかと思うのである。例えば、ある人物を結果として貶めるような記事が掲載されたとして、読者にはその人物に対するとんでもない印象が残りながらも、言いだしっぺであるところの記事は、いつの間にか消えているということにもなりかねないのであって、怖いといえばと怖いことなのである。
書籍や紙媒体であれば、物がどこかに残る可能性が高い、インターネットでもどこかのサーバにキャッシュされている可能性もあるのだけれども、それでも、紙媒体に比べれば残り難いのではないかという気がする。その点だけを考えるのであれば、更新が止まったまま何年間も放置されているブログの方がまだ良心的といえるのかもしれない。
逆にアーカイブのようなものを作っていてくれると印象も上がるのではないかと思うのだけれども、それらしきものを見つけることは出来なかったりする。


■熱を出している上、金槌で指を叩いてしまっているので、なにもすることが出来ない。尚且つ読みかけの本をなくしてしまって、結構ストレスも溜まっていたりする。ぼんやりとテレビをみていても、面白くもなくて、厚生省の次官殺しの犯人の人となりというのが、それほど重要な問題なのだろうかとか、どうでもいい疑問が沸いてきてしまうのだけど、テレビを消すことも出来ない、やはり彼は実家のアイスクリーム屋を継ぐべきではなかったのだろうかとか、労働の価値の値崩れを予想できなかったのかなとか(しかし、今日は勤労感謝の日の振り替え休日だ)、これまたどうでもいいことを、とりとめなく考え始めてしまっていたりする。