ターナー賞展

森美術館ターナー賞展を観に行った。
この美術館のいいところは夜遅くまで開いているところで、私のように仕事を持っている人間でも平日にアートに親しむことができるところだったりする、といっても、この美術館によく行くのかといえば、そういうわけでもなくて、去年のクロッシング展以来だったりする。
今回はおまけとして展示されているターナーの風景画(油彩)に気が魅かれた。
今までにみたことのある、この人の大きな絵が破綻したようなものばかりだったので、懐疑的になっていたのだけど、今回みることのできた絵は、画面も小さいせいか、描き始めのある程度の狙いに沿って作業が進められて、狙い通りか、それを少しこえたくらい効果を得られたかのような風であって、水彩画における冒険を上手に油彩表現に回収できているように思えた。
そもそもが、装飾画の分野で人気を得た画家ということなのだけど、この場合の装飾画というのは具体的には風景をモチーフにした挿絵のことであるようだ、いまでこそ毒にも薬にもならないと思われている写生と模写がこの人の絵の成分になっていたようなのだと書いていてみて少し気になることがある。
90年代の終わりくらいに、現代美術系の画廊で自分の絵の写真を見ていただいたときに、写生を通さない抽象画はつまらないと言われて吃驚したのを覚えている。私的にはなんでもありの現代美術における唯一のルールが、目の前のものを描いたらいけないということだと思っていたし、この人が、自分の画廊に並んでいる殆どの絵をつまらないと思っているという風にもとれたのである。更に、色彩について話をしていて、流行の彩度を抑えた甘い色彩は好きではないとのことで、では原色が好みなのかといえば、そうだとのことで、実際に写生をもとにして抽象画を描く画家さんというのもいないわけではなく、すぐに頭に浮かんだのだけど、その人の絵が原色を使っているのかといえば、そんなわけでもなくて、ややっこしい趣味を持った人なのだなと思ったのを覚えていて、私なり理解で総合的な絵で尚且つ高彩度の色彩が使われた絵が好きということに言い替えてみて、年をとってからのマチスの絵なんかが好みということなのだったのだろうと今にして思う。(しかし、マチスは抽象画を描いてはいないのだけど)
勿論、ターナーの使う色彩の彩度は低く、絵の具も積層のなかで構造化されている。そういう意味では印象派以降のフランス絵画の色斑をよこに並べ、目のなかでそららが混ざりあうことを期待するような絵の構造とは異なるものなのである。もちろん、印象派の絵は抽象画ではないし、厳密には抽象絵画はオランダ人やらロシア人やらアメリカ人によって多く描かれたものあり、フランス絵画という言葉も此処では任意的に使っているに過ぎないのだけど、いかなる手段で総合を図らせるかということが印象派以降のフランス絵画の中心問題であったとすら思われないこともあったりする。あるいは、無邪気に切断を楽しんでみせるかの如きキュビスムですら、結局は、総合に向かったようにも思えるのである。勿論、具体的な像によらなければ総合化は図れないとは私は思っているわけではないのだけど、ここら辺は本当にややっこし部分だったりする。