日記

 洗濯機の排水がつまってしまったようで、階下の部屋を水浸しにしてしまい申し訳ないことをした。幸い損害保険に入っていたので、建物についての損害、”クロスの張替え”と管理を委託されている不動産屋さんは言っているのだけど、実際には”壁紙”なのだけど、その張替えに発生する費用は保険からでるようだ。
あとは、感情的な問題と電化製品の問題だろう、なんでも電気カーペットが濡れてしまったということなので、弁償をさせていただかないといけない、かといってお金をそのまま渡すのも失礼なようなので、せめて商品券というカタチをとらせて頂いて、あとは菓子折りを持って再度ご挨拶に伺うべきかと思って、手はずを整えた。お金ではなくて商品券というのは、これは挨拶という行為であるということを示すためであって、この件で出来てしまった負い目と、それによって齎されるであろう上下関係を贈り物をすることで、平行で安定した人間関係に復帰させることが出来るのではないかという願いからである。
集合住宅に住む前は、こういう事態があるから出来る限り集合住宅には住みたくないと思っていたことを覚えている。それが、学生下宿で4年間なんとか追い出されないで生活できたので気をよくして、その後も集合住宅での生活を続けている、今の部屋より安い一戸建ての賃貸というものも存在するのだけれども、交通の便と家族の安全を考えて、今のマンションにすんでいたりする。
考えてもみれば、誰に教わったというわけでもないのだけど、こういう七面倒くさい社会行動を取れるということは不思議である。勿論、正確には今回は仕損じたのであるのだけど、でもって、思い返してみると、いろいろと失敗は重ねていて、学生時代には夜中に電話をしていて、夜中に隣の人から怒られたなんてこともあったりする。夜中に激しくドアを叩く人がいて、ビックリして、ドア越しに話をしたら、不明瞭な発声で、何をいっているのか判らないのだけど、声は確かに怒気を含んでいて、尚且つ命令調であり有無をいわせない調子で注意を受けた。
大げさな言い方として、あの時、ドアの向こうにいたのは大文字の他者ということになるのだろうか。
 そんなことの積み重ねの結果として、家族向けではあるけど、防音の全くないプレハブのアパートにも数年住んでいたこともある。明け方には、隣の部屋に住んでいる人の寝息まで聞こえるような気がするし、当然、睦声も聴こえ、何故か内容までは聞き取れないのだけど、声の調子でそれだろうと、はっと気がついたりしたのである。
しかしながら、翌日、ご本人と顔を合わせても、何事もなかったように普通に挨拶をする。そして、そのことは話題にはしないし、たとえそれが当人ではなくて、他のアパートの住民の前であっても、 美容師さんやクリーニング屋さんも住んでいたので、会話をする機会は幾らでもあったのだけど、話題にはしたことはなかった。
勿論、逆の立場のこともあるから、言い控えるということもあったのであろうとも思うのだけど、言ってしまうと何か取り返しのつかない事になるかのような気がしたのである。
この感覚を、”大文字の他者に聴かれたくないから”といってしまっていいのだろうか、つまり、聴いたこと聞こえたことを、口に出して話題にしてしまった時点で大文字の他者に登録してしまうことになるという緊張から、私は口にしなかったということになるのかもしれない。