日記

 フランケンサラーの初期の絵というのは油絵の具で描かれているらしい、というと気になるのが、キャンバスの地塗りであって、恐らく、材質としては綿布であるのだろうし、膠くらい引いているのだろうとは思うのだけどヒヤヒヤする。もちろん気にならない人は、全く気にしないのだろうけど私は気になる。油絵の具というのは難しいものがあって、というか、時間が経てば必ず硬化するし、これは顔料にもよるのかもしれないけど退色もする。硬化するということはどういうことかと言えば、絵の具が皹割れたり剥がれたりするということであって、要らない心配とはいえ、もし、自分が売ってしまった絵でそういうことが発生して、修復を依頼されたりしたらどうすればいいのだろうと不安に思う。”万物は流転するのです、修復はできません。”なんて言えるだろうか?もの派の作家さんの中にはそういうことを平気で言いそうな人もいるけど、危ないキャラクターがコミになっているようで、それはそれでややこしい。こういう作家のファンというのは、暴力が売りになっているロックバンドのコンサートに行って、ミュージシャンに殴られて喜んでいるのと変わらないようにも思えるのだけど、需要と供給を考えると、案外本人達としては幸せなのかもしれない。
 
 マチスの絵でも、弄りすぎて色彩が沈んでしまっている絵もあるし、ホフマンの絵でもかなり酷く沈んでしまって、本当にミイラみたいになってしまっている絵をみたことがある、何れも作家本人が最後に目にした時は、もう少し鮮やかであったであろう色彩が、時間を経て沈んだり濁ったりしたもので、しょうがないこととはいえやはり悲しい。

 たまたま入った画廊で、絵を薦めれた、とっても才能のありそうな作家さんの作品で、値段だって絵とすれば、とても安い部類だったのだけど、家にかけた途端に退色が進みそうで、下手すると五年もしないうちに皹割れそうで、尚且つ、熱心に勧めてくれる画商さんが、そのことをわかっていそうもなくて、きっと、絵の具の剥がれた絵を持ってきても何もしてくれないだろうし、そもそも薦めているその当該作品について質問を挟まれると困ったような顔をする、あるいは押しの強い作家に、半ば強引に押し付けられるままに展覧会を開いたのではないかと思ってしまった。また、作家だってそういう絵を描いてしまうような人なのだから、修復なんてできないだろうと、あるいは一年以内にそういうことが発生したらどうするつもりなのだろうと思うと不安になった。

 間に合わせで創られたような作品、そういう佇まいの作品の中には不思議と魅力を持っているものも多いのだけど、絵の具の使用法については、本当に取り返しがつかない部分が多くて困ったものであると思う。