レヴィナス「実存から実存者へ」

 あたりいちめんに広がるさけようもない無名の実存のざわめきは、引き裂こうにも引き裂けない。そのことはとりわけ、眠りが私たちの求めをかすめて逃れ去るそんな時に明らかになる。もはや夜通し見張るべきものなどないときに、目覚めている理由など何もないのに夜通し眠らずにいる。すると、現前という裸の事実が圧迫する。ひとには存在の義務がある、存在する義務があるのだと。ひとはあらゆる対象やあらゆる内容から離脱してはいるが、それでも現前がある。無の背後に浮かび上がこの現前は、一個の存在でもなければ空を切る意識の作用のなせるものでもなく、事物や意識をともどもに抱擁する<ある>という不変の事実なのだ。


 ツラトストラは見つからなかったけれども、レヴィナス「実存から実存者へ」が出てきた。
不眠の経験として字義通りに読んでしまっていいものかという疑問もある。
眠りには休息という意義を与えているけど、日中には、境界的な時間としてとらえている時間帯については、考えてもみれば、私は何の意義も与えていないため、それが延長されることに苛立ちを感じるのだろうと思う。
なにもしていないけれど、時間だけが過ぎてしまうという不快に、意味を与えて意義のあるものと思おうとしてみるのだけど、でてくることは、古臭いといえば古臭いことばかりなのかもしれない。
しかし、”ひとには存在の義務がある、存在する義務があるのだと。”とされると、眠れないのであれば起きていなさいといわれているようなものだという気もして、これでは何の解決にもならないようにも思えてくる。