日記

最近、岸信介児玉誉士夫について、巣鴨から出所後はCIAのエージェントであったという話をウエブ上でよく目にするようになった。
話の出所としては、ニューヨークタイムズの記者の書いたCIAの功罪を纏めた本らしい、主に中東におけるその活動を糾弾する本に一部極東の話も出ていて、この二人の名前がでてくるということらしい。

左翼や過激派より恐れられていた右翼、ヤクザ、ならず者、文春のオピニオン誌を購読するカルト教団(少なくても私にとっては、左翼の活動家と会話を持つことはあっても、右翼の活動家と会話を持つことは想像もつかないことであった。)彼らが自民党の支持層であったことも面白いのだけど、その天井人であるこの二人に魔力、万能の力を与えていたものの正体については、薄々、皆気が着いていたのだけど、実際に陽のひかりのもとに、それが記されるのを目にするとショックかというとそうでもないのは敗戦国の寂しさということなのであろう。
勿論、岸の宿願であったところの憲法の改正、集団的自衛権再軍備 ということについては、彼の本心からのものであったであろうことについても疑うものではない。
なんといっても宮沢喜一の弁によるのであれば、安保改定の際アメリカへ行って、日本が一方的に守ってもらうというものではなく対等なもの、必要に応じて日本がアメリカを守るという性質のものに改正する(当然、そのためには憲法を改正する必要も出てくる)ことを申し出てアメリカ側に無理を仄めかされた経緯すらあるのである。
勿論、アメリカ内部にもいろいろな考え方も持つ人間がいたり、利害の対立やらがあって、決して一枚の岩のように意思が統一できていなかったということであるのかもしれないのだけど、そこらについては私に知りえる範囲のことではないのだ。

”吉田さんの選んだ安保体制に対しては、社会党などの左からの攻撃ばかりではなくて、追放解除のなった人々からの攻撃もありました。戦前から働いていた代議士がみんな公職追放になっており、立候補もできないし、会社にも行けないことになっていました。それが占領が終わると追放解除になるのですが、そこで、「日本がすっかりアメリカの手下のようになっている。またこの新憲法は何事だ」というように考えるわけです。”

”確かに安保条約は、日本が攻められたときはアメリカが守ってくれるが、アメリカが攻められたときは日本は守りには行かないという条約です。「日本は憲法により戦力を持たないわけだが、これでは平等ではない。よくもそんな恥ずかしいことをやったな。大体この憲法からしてよくない」というのが、追放解除になった鳩山一郎さんや、岸信介さん達の考えでした。
 そこで、これはひとつ変えなくてはならないというので、アメリカへ行って、「とてもこんなことではいけない。我々は日本が攻められたときには守ってもらいたいが、アメリカがせめられたときにも日本が守りに行きます。安保体制をそういう平等のものにします。そのためには憲法も変えます」と言うのですが、当時のアメリカの国務長官ジョン・フォスター・ダレスが吉田さんの時代に、「おかしいじゃないか。日本もしっかりしろ」と言ってすいぶん揺さぶりをかけましたが、吉田さんが、「こんな貧乏国が軍隊なんか持てるもんですか」というようなことで、とうとう押し通してしまったものですから、ダレスに、「結構な話だが、ここまできたらとてもあなた方の言うことは日本では受け付けられないでしょう」と言われて、安保改定の内容は何でもないものになってしまったのです。”(www.tfcc.or.jp/govem/miyazawa.html)


安保騒動について、デモしている側と抑制側(伝えられるところによると、岸は右翼にあきたらず、自衛隊までも使おうとしていたとのことで、危うく天安門事件になりかけるところであったとのこと)双方にたいしてとても冷ややかで如何にも宮沢喜一らしいコメントで興味深いと思う。
また、憲法改正論者としての鳩山由紀夫のルーツがこんなところにあったのかと思われて、それはそれで感慨深い。

”安保騒動は、もう一歩で革命にいくというぐらいに盛り上がった騒ぎになりましたが、安保改定の内容は、何でもなくなってしまっていましたので、それ自身は騒ぐ価値はなかったのです。”

吉田茂のでっち上げたもの、ときにそれは抑圧装置にように見えることがあったにせよ、多くの富を日本にもたらしたことは今となっては疑うべき余地のないものな訳で、また、60年に憲法の改正ができたとしても、それが日本の独立(?)に繋がったかどうかは、最近の対テロをめぐる日本の対応からみても疑問がもたれる訳で、福田和也のようなパフォーマティブな批評家による岸への絶大な評価に対しては違和感を感じざるをえないのだ。