日記

浦和が大宮に負け、鹿島が川崎に勝って、横浜が広島に負けたのは良しとして、磐田が清水に負けたのは順当ではあるが困ったことなのである。
もう一口のほうも、浦和は大宮に勝つことになっているし、、、残りも似たようなもので、いずれにせよ今日の試合は見るまでもなく終わってしまっている。

私が購入したのはBIGというタイプで自分が予想するというタイプのものではなくて、購入時に各試合について既に機械的に予想が振られているというタイプのものであるのだけど、何故BIGかといえば当たったときの額が大きいからであって、通常で一億、キャリーオーバー発生時六億になるからである。
1等 … すべて的中(約1/480万)、2等 … 1試合はずれ(約1/17万)、3等 … 2試合はずれ(約1/1万3000)、4等 … 3試合はずれ(約1/1,643)、
当せん金(発売金額の50%)配分割合、1等 … 80%、2等 … 10%、3等 … 5%、4等 … 5% 。

捕らぬ狸の皮算用としては、やはり家が欲しいとか、海の傍がいい、近くに係留設備があれば、あまった金で、贅沢を言わず、クウォータートンあるいはミニトンくらいのクルーザが持てれば、中古だったら船自体は50万以下で購入可能のようだし、年に一度は航海に出たりもしながら楽しく余生を過ごせるのではないだろうかとか、いろいろ考えるのだけど、
そういう場所だと、生活費というのが、もしかすると高くつくのではないかという気がしないでもない。

地方の経済は建設業と農業で成り立っているという前提でこの二つについては、政府も援助を行ってきたのだけど、それらに従事しない人間はどうやって生活を建てているのかというと想像もつかない。
農業をするにはそれなりの面積の耕地が必要だし、やはり、中上健次の小説の登場人物みたいに道路工事とかをしないとだめなのかなと思いきや公共工事は減るばかりだろう。
しかし、前提として1億以上の金があるということなのだから、株を買うなりして配当金で生活できないものかとも思うけど、数千万円の株の配当金で家族の生活がどうにかなるものとも思えない。
そうしてみると、地方で暮らすというのはとんでもなく贅沢なことのようにも思えてくるのである。

農業従事者にしろ建設業従事者にしろ、現在の市場主義的な政策下においては、歴史的経緯により維持している権益をもっているものとして既得権益者ということになるのだろうけど、それらの業種が世に必要であるということが当たり前の前提となっているということによって(少なくても私は、”農業が金にならないなら他の仕事に就いて下さい、地方には仕事がないということであれば、仕事のある場所に引っ越してください、人が住まない場所には道路は必要ありませんので道路を作るのを止めましょう、これで赤字が解消されます。”と主張する政治家をみたことはない。)、どうやって維持したらよいのかという議論になっているわけで、羨ましいと思えない訳でもない。
農家で年収100万のところは幾らだってあるのでなんとかしてあげなければならないと当たり前のように代議士は発言するのだけど、都市圏に住む人でもそのくらいの年収の人は幾らでもいるわけで、それらについては、”努力が足らない”とか、あるいは”仕事を選ぶからいけないのだ”とか当たり前のように言われ、あげくに公園で寝転んでいると、子供達に火をつけられるたりもして文字通り命がけの生活をしているのである。

食料自給率という数字も、少なくても、私にはよく判らないものがあるのであって、肥料や飼料はどのように考えられているのだろうと、それらが輸入によっているのであれば、いずれにせよ国際的に孤立すれば、国民の多くは餓死せざるを得ないのではないかと思ったりもするのである。

与謝野官房長官が、物価を上げることで経済を拡大するのは厳しいことになるとの発言をしていて、すこし安心したのだけど、であれば増税は必至のようで、長いこと自営業者と農業従事者について与党の票田であったことにより、所得すら把握が出来ていない状態であることによる不公平感から上げることが出来るのは消費税ということなり、尚且つ農業を保護しているという理由によって、食料にも消費税を掛けざるをえない状況は変らないということで、しかし福祉のために消費税を上げるというのも普通に考えればとんでもないことなのであろうけど、しょうがないと言わざるをえない現実があるらしいということで、更に厳しさを認識するのである。