日記(メモ:判断について)

さてカントよわったなと思いつつ、随分以前に読んだ坂部恵の解説本”カント”をはらはらと捲ってみる。(カントの”純粋理性批判”自体もどこかにあるはずなのだけど見つけることが出来ない。)

■判断の区別
・分析的判断:単に開明的であって、認識の内容に何も付け加えない。

 ☆分析的判断がその述語において言い表わしているのは、明瞭ではないにしろ、主語の概念のうちに事実上既に考えられていたものほかならない。「全ての物体は延長している」というのであれば、私は物体という私の概念を少しも拡張せず、それをただ分解したにすぎない。
 
 全く矛盾律にもとずいており、判断の材料となる概念が経験的であると否とを問わず、その本性上ア・プリオリな認識である。肯定的な分析的判断の述語は、あらかじめすでに述語の概念のうちで考えられているので、それは矛盾におちいることなしに主語について否定されることはできないし、同様にして、その述語の反対概念は、否定的な分析的判断において、必然的に、しかも矛盾律にしたがって、主語について否定されるからである。


・総合的判断:拡張的であって、与えられた認識 に何ものかを付け加える。

 ☆「ある物体は重い」という命題は、物体という一般的概念のうちでは実際に考えられていないあるものを、述語のうちに含んでおり、私の概念にあるものを付け加えることによって、私の常識を拡張する。

 起源が経験的であるア・ポステリオリな総合的判断がある。しかしまた、ア・プリオリに確実であって、純粋悟性と純粋理性とから発した総合的な判断もある。そして、両者は、分析の原則すなわち矛盾律にしたがうだけでは決して生じえないという一点で、一致している。 それらは、もうひとつの、まったく異なった原理を必要とする。といっても、どのような原則から導きだされるにせよ、それらが、矛盾律にしたがって導き出されねばならないことにはかわりない。