日記

自民党が選挙で大負けをしたという唯それだけの事実が、私の体重が半減されたかのような不思議な気分にさせた。
たとえ、民主党のマニュフェストがかなりいかがわしいものであったとしてもである。
(まともに政策を掲げて選挙を戦っているうちには選挙には勝てず、経世会出身の議員により、経世会的なバラマキ政策を掲げたところ大勝してしまったというのは皮肉といえば皮肉である。しかし、無責任な政策を掲げることが出来るというのも野党の強みである訳で、それを活用しただけの話という見方だってできるのである。本来責められるべきは資料を野党に開示しない官僚にあるのだと思いたい気持ちもあったりする、でもパスがないのかな。というか年金問題で判ったことは、官僚は与党にすらまともに資料を開示していなかったということではないだろうか。しかし、大臣って何をする人なのだったかなと。)
なんといっても、自民党はその前身から考えれば中国共産党よりも長い期間、一党による政権の独裁を実現している政党なのである。そして、その長い歴史のある時期においてはCIAの反共政策というバックアップを受けていた時期もあったわけで、CIAは自民党に資金を援助しながら、左翼陣営の中規模な政党である民社党(既にない)にも資金を提供することで、左翼の票割れを誘導したりもして、巧みに自民党政権を支えていたのである。その中で、政治の腐敗が起ったのも、他国でCIAの支援をうけていた政権と同様である。
(ホワイティングの”東京アンダーグランド”という本にここら辺の逸話が面白おかしくまとめられている。)
それ故、TVカメラの前で、民主党の党首がアメリカ大使の申し出を断わって見せることにも意義があったということなのかなとも思うのだけど、アメリカ大使は事前にカメラが入ることを知らなかった筈もないわけで、茶番といえば茶番なのであろう。
とりあえずは、インド洋上での給油作業から、イラク同様泥沼化してしまったアフガニスタンでの陸上の作業に切り替えるという選択肢があるということがわかったのはいいことなのだろうか、それとも悪いことなのだろうか、やはり憲法は改正されるべきことなのだろうかという問題に、いやがおうでも国民の目を向けさせることができれば、民主党は、まだ、人々の期待を継続させることができるのだろうが、主要な新聞は冷ややかなようで、テロ特措法は国連決議に沿ったものとの見解を出している。
それに国民新党と連合するためとはいえ郵政民営化の凍結法案を提出したということでは、さすがに民意ははなれるのではないだろうか?というか私は預金封鎖ハイパーインフレが起きたらどうしようと今から不安である。

日米関係の話とバランスをとるためというわけではないが冷戦時の反対陣営の話としては、
社会主義国陣営から資金援助を受けていた日本社会党は、非武装中立という主張を掲げていたのだけど、この主張がある程度以上のリアリティを持たなかったのは満州の記憶が人々あったからではないかと思う。なんといっても、日本政府は20万人の人間を国策としてその地に送り込んだのである。(因みに、敗戦後の引き揚げに関しては中国政府からの呼びかけを無視し続け、結果して事業は細々と民間によって行われ尚且つ岸内閣の時代にはそれすらも途絶えてしまったのである。恐ろしい話だ。)そして、冷戦時においては大抵の人には、笛吹きの笛の音につられて大陸に行った人が身近にいて、それらの人の身に起こったことについて考えるのに大して想像力を必要としなかったのではないかと思うのだけど、そう書くのは自分の身内に満鉄に勤めていた人がいるからであるのかもしれない。かの地では、1945年の春をみる前に軍隊(関東軍)が日本本土に引き上げてしまったがために、8月に参戦したソ連は、欲しいままの暴力を丸腰の人々に対して振るった挙句、労働力になりそうな人間は強制収容所に連れて行って労働に着かせ、老人や女や子供も零下数十度にもなる野に捨てたのである。それに味をしめて、日本社会党を操作したうえ同様のことを行おうとしているのだろうと思わない方がどうかしているのである。
二度も同じ手を食う馬鹿がいるものかと思いきや、日本社会党野党第一党だったということもまた事実なのであって、今の目でみると冷戦体制においては日本には中立という選択肢はありえなかったようにも思えるのだけど、当時はそれがあり得るかのように信じる人も多数いたということなのか、それとも日々酷い搾取との戦いの中で自分の生活を守るために、社会党を支持せざるを得なかった人が多数存在したということなのかと考えると、複雑な気分にもなるのである。