日記

漱石の”二百十日”という小説の異様な状況設定、活火山である阿蘇山(中岳であろうか?)の噴火口を暴風雨のなか覗き込みに行くというものは、この小説が発表されたのが明治三十九年であるということを知ると、その時代の世相と関わりがないわけはないと思わずにはいられなくなる。
一つの事象がもう一つの他の事象を表しているように見えて、尚且つ逆は成り立たない場合、そのような関係を象徴化というのだったかなと、どこかで読んだような気がするのだけど思い出せない。
日露戦争において日本はもともと乏しい国力を戦争で使い果たし、尚且つ、戦争に勝利してもロシアから賠償金をとることも出来なかった訳で、この時の国民の不満というものは、正に火山の噴火状態に例えられるものであったのではないだろうか。
しかしそう思ってみてみると、登場人物は火山の噴火を形成するものではなくそれとは分離されている訳で、道中での豆腐屋の倅の政治談議(?)はどこか落語の調子を思わせるものであったりもして、激しい内容とは裏腹に、諌めなくてはいけないような気分にさせられるものであったりする。
因みに、小説内には日露戦争はおろか戦争と云う言葉も出てこないと思うので、このように読むのは私だけに限ったことであるのかもしれない。