小説という書き物は、虚の空間と時間を備えている、其のことに異論を唱える者はいないだろう。しかし、それと同様にカントやニーチェの書いた物も、虚の空間や時間を備えていると言おうとすると、躊躇いを感じる。しかし、それがないのであれば、道徳の系譜学などは、とうに発禁処分になっていて然るべきであって、字義通りに読まれなていないが故、未だに読めると考えるべきではないかと思う。