矢作俊彦は1950年位の生まれの筈で、駒場高校が最終学歴というと不自然で、もしかしたら政治運動にでも関わっていたのではないかと、団塊の世代が大学で騒いでいる頃、高校でも騒いでいる人たちもいたと自分は伝え聞いていたので、そんな中にこの小説家も紛れていたのではないかと、思わせるものがロンググッドバイにはあると思う。勿論タイトルは、チャンドラーへのオマージュだけれども、一緒なのは音だけで意味はことなる、すなわち「まちがったお別れ」。当然、感触も本家とは違って、なんというか優雅で感傷的であったりする。例えばこんな一文「嫌な一日だった。陽は切れかけの蛍光灯のように白っちゃけ、夜が来ても空はぼんやり明るかった。潮時を過ぎると、時計回りの海風が風邪っぴきの猫の舌みたいに三浦の丘陵地帯を舐めてまわった。」チャンドラーには、こんなに繊細な感触のある文はないし、ロスマクなら尚更書けない、ロスマクの風景描写は常に父系的な厳しさに浸透されている。個々の文は繊細だし知的で、それ自体で充足さえしているように見えながら、ゆるやかな求心性を備え積み重なっていく。もう一巡してしまった感のある時代のインドシナの周り或いは其処と日本を繋ぐパイプのような米軍という存在によって可能にされる無国籍でありながらホモソーシャルな世界に何故にそんなに捕らわれのだろうと、自分がこの小説を最後まで読めたのは、そんな好奇心故のことであったりする。