雑記

読売新聞が法螺を真に受けて報道して、本人も引くに引けなくなったというのが真相なのだろう。せめて読売新聞も本人の経歴を確認しておけば、こんなことにはならなかったのではないだろうか。法螺を吹いた方も、其れなりに苦労して得たであろうキャリアを棒にふってしまったかもしれないわけで、双方とも失ったものこそあれ、何も得たものはないのではないだろうか。よく似た話が、美術にもあった筈で、本人が死ねば真実が語られるだろうと思ってたいたのだけど、一向に語られることがないのは、作品に資産としての価値が付いてしまっているためか、或いは既に資産としての価値をうしなっているためか本当のところ解らない。作品が好きで購入したのであれば額縁外のことなぞどうでも良い筈ではないかと思うのだけど、商人が間に入ることもあってややっこしい。普段は草も生えていない荒れ地に突如雨が降って瞬時に川が出来るように、バブルに流通した美術品なぞ殆どが怪しいものであろうとも思うこともあったりするのだけど、これはやっかみによるものだろう。