A TRACE OF SMOKE

邦題は“レクイエムの夜“、いつの間にやら、ミステリーは、どこかに死の描写を含むエンターテイメント小説の総称になっているようで、この小説も謎解的要素もなければ、シニカルな探偵も登場しない。舞台が1931年のドイツで、著者のレベッカ・キャントルはベルリン自由大学とカーネギーメロン大学を出てるとのことで、もしかしてドイツ人かと思いきやアメリカ人だった。というかこの分野の小説で翻訳されているものは、ほとんどが英語圏のもので、ときにフランス人の書いたものも見かけることもあるのだけど、大概面白くない。
兎も角、この小説も、いきなり死体の生々しい描写から始まる、しかしこの死体は写真に収まっている。此は良くない、なぜなら映像経由でみる死体は現実味を欠いているからである。“ウイグル“とか“東トルキスタン“という語で、インターネットを検索すれば、山のように死体や人肉片の映像を閲覧する事が出来る。しかし直視に耐えるのは、これらが所詮は映像であり、現実にはペンキ塗れのキャストや人形あるいはコンピューターで描いた絵である可能性もあるからである。しかしながら、第一次世界大戦のすぐあとで、次の戦争が未だ始まっていないとのことであれば、写真に収まった死体も未だ生々しい現実味を帯び得るのだろうと思いなおされるのである。主人公は新聞社に雇われた女性のゴーストライターである、婚約者を戦争で失っているらしい。更に身分証明書を国外に逃亡するユダヤ人に貸与してしまっている。かなり危うい存在であるよう思われるのは、まさに其の社会で行われつつあったことを僕達は知っているからである。そして、説明を加えるまでもなく存在とは時代と場所を込んでいる。原題の煙“SMOKE“のように不確かな存在の辿る痕跡が物語である。
勿論、深刻な時代を扱っているから、深刻な小説ということではないのだけど。そして、単純に犠牲者の数であれば、残酷さが喧伝されるナチスドイツのそれは、其の後のソ連や中国のそれに比べれば、桁違いに少なかったりもする。