ロケット処方との言葉を見つけた。現在処方されている、複数の薬物の飲み併せについては、成り行きで成ったものではなくて、それぞれの効力の関係を考慮したものであるらしい。医師も此方の表情をみながら、心なしか得意気にしていた。どの薬も本当に最近できたものばかりで、医学の進歩には感謝するべきなのだろう。ほんの数年前であれば、為す術なく、病気とも認められず、怠け者呼ばわりされて、自死に追いこまれていたかもしれない事を考えれば、肝臓の劣化に怯えることなぞ愚かしい。失うものと、得られるものを計りにかければ、少なくとも現状では、得られるものの方が圧倒的なのだ。

近所のマツモトキヨシで、簡易的な放射線測定器が売られていた。簡易的とはいっても、5千円くらいするのだけど、レジの手前に積んであって、客から聴かれたら、すぐ案内出来るようにか、或いは、導線上、客が必ず通る位置という配慮か、何れにしても、特別扱いされているようだった。原発の危険性については、昨年より、あちこちで読み聴きする機会があったのだけど、原発のおかげで、一年以内で核武装できる事によって得られる安全について、キチンとした説明はみかけない。政府が嘘をついてきた事実があるとしても、国民は、それによって、恩恵を被ってきた可能性もあるのだとも思われることもあり、居心地のわるさもないわけでもない。
先月後半に制定された原子力安全基本法には、我が国の安全保障に資する、との文字があるとのこと、何を今更とも思うのだけど、今までは、自分も、このブログにも書いてこなかった訳で、誰も読んでいなさそうなブログにおいてさえも、書けなかった自分という存在について、改めて、理解が出来かねなくなった。