日記

工藤幸雄さんがお亡くなりになっていたということを偶然しった。
私は学生の時に、この人のフランス語の講義を取っていて、テキストは、確かボードレールだったと思う。
シャンソンを歌わされた覚えもないので、当たり前に勉強して単位をとったということなのだろうけど、今ではフランス語は全く読めない。
一番最後に姿をお見かけしたのは、学校を卒業してから暫く経ってからで、セゾン劇場でソクーロフの”ロシアンエレジー”を観た時で、ふと、後ろを振り返って、スクリーンから照り返す光で、その座席に座っているのが、工藤さんと奥様であるのが分かってびっくりした。
映画の上映中であったので、挨拶もできなかったのだけど、この時、自分と一緒に映画を観にいった人が、TV業界で仕事をしている人で、年間数百本も映画を観る人だったのだけど、ソクーロフは気に入らなかったようで、さそった私に当てつけるかのように、上映中にもかかわらず騒がしくしていて、双方に対して、申し訳ないような気まずい気分になったことを、記憶している。

しかし、想い出というのは、本来であれば忘れてしまいたくなるような、苦痛を伴うことばかりのように思えるのことがある。