ケージの時代はアメリカは音楽の後進地帯であった故、彼の音楽は行き過ぎたラジカリズムに陥った。美術であればオランダのモンドリアン、ロシアのカンディンスキー、マレビッチと同様。日本であれば、具体やらもの派も同様。
80年代に菅木志夫がパリにいっても、出来上がってしまっていて、面白いものはないとか、ニューヨークのシュナーベルも新しいことなぞやってないと、銀座はめちゃくちゃだから、おもしろいと述べていて、半ば自分のことを肯定するためのレトリックではないかと思いながら聴いていた覚えがあるのだけど、気がついてみればその殆どが消えてしまっていて、しかしながら、現下の美術もめちゃくちゃのように見え、同じレトリックのもとに肯定されているのをみると、日本は相変わらず後進地帯なのではないかと寂しくなる。バブル時もハイになっている人たちよりは、醒めた人の方に好感を持っていたのだけど、美術業界はジャンクなものを好む傾向があるようで残念感一入。