回復期

 病気の再発としてのアリス・リデルの後日談自体は、然程面白いわけでもなくて、そもそもが若い人向けに作られたものであって、私が楽しめる訳もないのだけど、別れの際の気障な帽子屋には感情移入できる人は多いのではないかと思う。自分は傍観者でしかなくて、尚且つ相手にとっては夢の中で会った人程度の存在に過ぎず、夢とともに忘れられて然るべき存在に過ぎないのではないかといったような感情は、病気の回復過程にある人の傍らに立ったことがある人であれば大概感じるのではないだろうか、更に、その後しばらくは主に捨てられた悪い夢の中に取り残されたような気分になってしまったりして気鬱になったりとか。
10月23日(http://d.hatena.ne.jp/nuj-a/20101023)に書き付けたことへのコメントとして、医療を職業にしている人というのは、こういう感情には捉われないものなのだろうか。