日本春歌考(大島渚)

 1967年頃は大学生も学ランを着ていたのかなという疑問があって、wikiであたってみたところ、昭和30年代後半までは大学生も学ランを着用していたとのことが書かれていて、やはり昭和40年代の映画であれば、髪をキッチリ横に分けて、学ランを着て、たばこを咥えていた鬱陶しい男たちは、設定としては高校生ということでいいのだろう。それにしても奇妙なことばかりなのだけど、それらが自分のよく見知っている建物やら橋やらを背景にして展開することが一番奇妙な点だったと思う。
 もとよりフィクションなのだし、映像が、自分の見覚えのある特定の時代の光景とは相容れないとか、それなら、まだましで、自分個人が記憶しているわけもない場所の光景、しかしながら、人から聞いたりとか、映像を通してみたりした光景と相容れないといった不満は、冷静に考えれば、馬鹿げているのだろう。

”お前(ネロ=死んでしまった犬)はたった二回程度夏をしっただけだった/僕はもう十八回も夏をしっている/そして今僕は自分のや又自分のでないいろいろの夏を思い出している/メゾンフィットの夏/淀の夏 ”という詩の一節を想いだしたのだけど、いつの間にかに、誰かの経験を自分の経験であると思い込んでいるとすれば愚かなことであるのかもしれないのだけれども、書き言葉とか映像とかというメディアに接している限り、それを峻別することもまた難しいという気もあって、本当のところなんとも言い難い。

しかし、学ランをきた俳優の鬱屈した表情が嫌だということは確かにあって、それが、終始、スクリーンへの没入を妨げているということはあり、このことが、自分がこの映画を受け入れがたいそもそもの原因なのかなと思わないこともない。対照的にガス中毒で不慮の死を遂げる先生だか教授だかの伊丹一三(映画の最初に流れる情報にはこんように表記されていた。)のすっきりした表情は、すっきりを通り越して、ノッペリと見えて、これも感情移入のしようがない。しかし、この表情であるから、酒場で他の客たち(サラリーマン風の男たち)が声を合わせてうたう軍歌に抵抗するかのように、淫歌をうたっても様になるのかもしれないのだけど、そもそもが、あの酒場もまた綺麗というか、ずいぶんと清潔そうで、六十年代、都内にはあんなに広々として、清潔そうな酒場があって、そこでサラリーマン声を合わせて軍歌を歌ったりしたものだろうかと、自然に疑問が出てくるのだけれども、これは、先に書いたように愚かなことなのだと思う。物語設定上、紀元節復活のイブなのであれば、そんなこともありえないとも言えないのではないかとも思う(少なくても、現在は名を変えているとはいえ、紀元節がもう一度廃止されることはなさそうであるのだから、その復活を体験することは難しいということもあるのだし)。

不慣れな劇場の椅子に長時間座っていながら、物語に入り込めない結果として、手を換え品を換え、同じ構図を繰り返し図示されているような気分になってしまった。
ベトナム戦争という、直接的には他所の国の出来事である戦争に対する反対運動に興じる大学生、それに突っかかる高校生。冒頭、入試会場で署名を求められた受験生である高校生が、”丸出だめ夫”と署名するシーケンスがあるのだけれども、この後の映画の展開は、すべてこのシーケンスの変奏ではないかとすら思ってしまった。
アイビーファッションというのか、結構、お金の掛かりそうな洋服を着て(自分が学生のころ、あんな格好をできたかと考えると、おそらくは不可能であったであろうと思われるような格好。)フォークギターをぶら下げて、英語で反戦歌を歌う大学生と、学ランやらセーラー服をきて、地方から入学試験のために出てきて、尚且つ、浪人する金がないとボヤく高校生たちの関係。
この関係も、どこまでも集団同士の関係であって、大学生たちのマドンナ的存在に乱暴を働くという空想も、高校生四人で駅の通路で、互いに意見を交換しながら行われ、尚且つ、最終的に実現に至っても、相手からの志願というカタチにて行われるのであるので、高校生の主体的な行動(この言葉には留保をつけるにしても)というものはない。(映画中、歌は、集団の象徴のように扱われているようだが、大学生=反戦フォーク(英語)、高校生=民謡(猥歌)、サラリーマン=?(軍歌)、集団として扱われながら歌を歌わない黒い日の丸を掲げた紀元節反対を唱えるデモ隊(?)のような存在も出てきたことも、忘れないために書いておく。)
存在だけが描くに値するということなのかなと惚けたことも考えたい気はあるのだけれども気力がない。勿論、首を絞めることによって、相手が死んだということであれば道義上の責任は出てくるのだけれども、それは次元が違うことのようだし、そうであれば映画としては俗だと思う。そもそもは、高校生の一人が、大学生の集団に身を与えた(表現としては、川か堀のなかに仮設された舞台にて、棺もあったか、それと星条旗の前で、反戦歌を歌っている大学生に闖入して、女子高校生が民謡を歌った後、セーラー服姿の女子高校生が大学生たちに担がれて運ばれていき、その後、ドレス(?)をきて戻ってきて仲間が驚く。)ことの引き換えのように、ことは行われたということであれば、私に必要なのは、人類学の教科書なのかもしれない。(あの高校生の鬱陶しい顔を自分の顔だと思えれば、また違う観方も出てくるのかもしれないのだけど、少なくても今の自分は退けたい。)

思い直してみて、死ということであれば、先立って、高校生たちから先生と呼ばれる男も紀元節の日に酔っ払った挙句、ガスストーブを倒してしまいガス中毒死という陳腐な死に方をしていて、鬱陶しい高校生は、偶然、その場を目撃しながら、この男を助けるということをせずに、その場を立ち去ったという経緯はあるのだけれども、この下りは、もったいぶっているというか言い訳じみて見えたりする。

うだうだと感想を書き綴っていると忘れてしまいそうになるのだけれども、雪の中、大学のグランドを高校生四人が横に並んで歩いていくシーンが、望遠で遠くから撮られているようで、雪の密度がそうさせるのか、不思議と叙情的で美しくみえたり。鬱陶しい高校生と先生の恋人が二人並んでスクリーン向かって左から右に歩いていくシーンの背景の、比較的高い位置から写した東京の街が、尺度のちぐはぐさのためか、なんとも不思議で(しかしここに、分節言語との類似ををみようとは思わない)、これがリアプロジェクションという技法の効果というものなのかなと思った。

うだうだと文句を書いてはいるけど、迫力のある映画で、よくこんな映画を作れたものだという感心はあったりする。