日記

八重洲ブックセンターで、ユメジの英語の文献を探している英語圏の人がいた、
最初、大声で”ウメジ”を連発しているので何かと思ったら、竹久夢二ということのようで、店員さんも、夢二ということがわかったとたん(ほぼ、私と同じタイミングにてわかったようだ)、碌に書棚を探さずに”ない”といったらしい、というのは、店員さんの声はほとんど私には聞こえなかったけど、次の瞬間に、その人が大正時代の日本の美術についての本、あるいは、”日本のアールヌーボー”(そもそも、日本のアールヌーボーってなんのことだろう)についての本を大声で所望したから、そう思ったのだけど。
大正時代に描かかれた人物画みたいなものは、外国の人にも理解しやすいのかなと思う反面、甲斐庄楠音や岸田のデッサンの決定的な拙さが思い浮かんで、気まずい思いがした、それとともに、日本語の文献だって碌にないのに、英語の文献があるはずないだろうという安心感のようなものもあったりもして、考えようによってはこれも寂しい、そもそも誰がこの人に夢二みたいなものを教えたのかとすこし苛立ちも感じた。
その後も、日本のモダンアートとか大声で言っていて、これだって案内できるような文献があるのか、いや、文献以前に先立ってあるべきもの(?)があるのかという寂しさを感じつつ、本屋にくる以前に、竹橋の美術館にでも行っておけば、大まかなことはわかったのではないかと思った(美術館のカタログには英訳のテキストがついていることもあるし)。
そもそも、なんで自分たちの社会にあるものと大枠同じで、ちょっとだけエクゾチックなものが日本にもあるように考えるか、まず自分の属する文化の特殊性を認識してほしいとも思った。

しかし、この人を東京駅の新幹線改札口の前で再度見かけたとき、八重洲ブックセンターの大きな紙袋を手に提げていて、いったいどんな本を買ったのだろうと気になった。