プラスチック・ポエム
恐らく現代詩や写真に対する批評的な作品だと思うのだけど、自分にそれらの分野に対する愛情なり知識なりが不足しているせいか、
グラフィックデザインのように見えてしまった。
千葉市は百万弱の人口を抱える政令指定都市であるので立派な美術館を持っている。
とかいて、百万いてもあの規模で足りると考えれば、美術を楽しむ人というのは恐ろしく限定的なのである。
蘇我で行われた野外フェスの規模わかんがえれば比較にもならない。
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過去と現在と未来に線引きをしないといけない。
小さな3つの骨壺を永代供養してもらう。
骨壺から出された骨は他の多くの動物の骨と混じりあい無名の質量となる。
名札が並んでいる。
一定の金額を払えば名札を書くことができて、尚且つ一定期間並べておくことができるとのこと。
部屋に帰ると、ガサゴソと聞こえていた小動物のたてる物音がきこえなくなっている。
家内に属したものが略過去に属するものという事実はやはり耐え難いものがあって、緩慢な時間に留めおかれていたのだけど、時間に蝕まれて放っておいても無名の質量に変わりつつある。
衣装棚から出してベッドの上に拡げた外套の上に横になって暫く眠って、なにげに横をみると虫が着いている。手にとってまじまじとみると、1匹2匹ではなくびっしりとこびりついている。
ぼくが如何に怠惰に過ごそうとも、緩慢な時の流れなどというものは実態としてはなくて、慰めのために無意識が作り出したまぼろしなのだと思う。
タルコフスキーの映画で雨が降ってモノを濡らしていく様をカメラかゆっくりと追っていた様を思い出した。
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窓の後ろにカーテンがありその内側には光があり光の下には人がいる、人には目があり、紛れに外を覗いている。家々やアパートに囲まれた公園で寛げるだろうかと思いつつ、実際に公園に座っていると、それなりにリラックス出来ている。
勿論、犬連れであっても公園に入ることは許されている。犬はベンチに腹這いになってぼんやりとしていて、道路から吠えてくる他所の犬に応じることもなく、夜風の匂いを楽しんでいる。
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南に向かって下っていく傾斜した土地、底には細い川が蛇行しているとだけど、途上に土を盛ったり削ったりして水平な面を設けて、箱のような家やそれより若干細長いアパートが規則的に並んでいる、そんな一角に、リズムを崩すかのようにぽっかりと空いた土地があり、申し訳程度に、○○公園と書かれた看板が建ててあるのみで遊具は見当たらない。昼間であれば日が当たって大概の時間はポカポカとした匂いも感じられるだけど、さすがに夜間であれば、道路の街灯から意図せずに貰った光が一部の地面の砂を白く照すばかり、嗅覚に優れた犬は昼間と変わらぬ歩調で歩きまわるので、不安定な二足歩行のうえ視力が弱っている自分は牽かれてよたよたとついていく他なく、しかしながら、時折砂を口に入れようとする犬を制するために紐を手繰つつ声をあげて、我に返り周囲の灯りの点った窓を見上げる。